"なんもしないをする"オフタイムに飲む、クラフトコーラ「OFF COLA」。
2021年7月に販売開始したOFF COLAはありがたいことに、これまで多くのメディア、イベントにて取り上げていただけるようになりました。まずはOFF COLAを少しでも手に取ってくださった方、ファンの皆様に感謝申し上げます。
そして、この度「OFF COLA CLUB」を始めることとなりました。
OFF COLA CLUBでは、OFF COLAにまつわる、人、カルチャー、ものなどについて幅広く、深く発信していく予定です。今回は初めての連載ということで、これまで意外と語られてこなかったOFF COLAにまつわる誕生秘話を少しずつ話していこうと思います。その名も「OFF COLAができるまで」。
第1回目のテーマは、OFF COLAのルーツともいえる「ヒッピー」について。
ぜひOFF COLAを片手に読んでくださると嬉しいです。
Text : Ayuka Moriya , Edit : Kyosuke Matsuike
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若者による、脱社会的な自由を求めたムーブメント「ヒッピー」
「1960-70年代、戦後のストレスに反発するように、脱社会的な自由さを持つ、"ヒッピー"という存在ができました」。
OFF COLAのコピーには、こんな一文が含まれている。何が言いたいかというと、OFF COLAを語る上で、ヒッピーは避けては通れないということ。そもそもヒッピー(Hippie)とは、1960年代後半から70年代にかけて一世を風靡した、アメリカの社会体制を否定する若者たちによるムーブメントを指す。ヒッピーは今でこそHip-Hop然り、音楽や芸術など様々なカルチャーシーンに絶大な影響を与えているが、その始まりは当時泥沼化していたベトナム戦争、アメリカ中流社会へのアンチテーゼであったとされている。
1960年代のアメリカはイデオロギーによる社会変革が進んだ時代だった。官僚や大企業などによる出世競争、戦争による徴兵。産業が発展すると、人々のライフスタイルはより合理的で物質主義的なものに変化した。一方、そんな主流文化からドロップアウトを図ろうとする者たちが現れる。アメリカの中流階級層の若者たちである。彼らは自然回帰を主張し、愛と平和(LOVE & PEACE)、そして何よりも「自由」を求めた。彼らこそヒッピー・ムーブメントの中心であり、ヒッピーはそんな若者たちによる当時の社会体制と価値観からの離脱を目指すカウンターカルチャーとして発展していったのである。
「チル」は現代のカウンターカルチャーのキーワード
時計の針を現代に巻き戻そう。インターネットが普及し、誰でもスマートフォンやSNSでアカウントを持つ時代となった現代、私たちの生活には多すぎるぐらいに情報が溢れている。そして2020年が始まると、パンデミックによって私たちの生活は急変した。見えないウイルス、長引く緊急事態宣言の発令と、それに伴う行動制限。仕事も遊びも、変化を余儀なくされた。
パンデミックによってデジタルシフトが加速する中で、サウナや銭湯、ゆったりと香りを楽しむ中東文化発祥の嗜好品「シーシャ」が若者の間で流行り始めた。同時に「chill out」の言葉に由来する「チル」という言葉が普及した。これら一連の流れは高度に進んだ情報社会と、閉塞感が漂う社会に疲弊した若者たちが、ゆったりとリラックスする余暇時間の充実を求めていることを意味する。そしてこの様相は、先述した1960年代のヒッピー・ムーブメントと限りなく近いのではないだろうか。
オンになるコーラから、オフになるコーラへ
そんな社会背景もあいまって「極上のチルタイムを過ごすために作られた次世代のクラフトコーラ」こと「OFF COLA」は誕生した。従来コーラといえば「コカ・コーラ」のように、飲むことで人々に活力を与える存在だったが、OFF COLAは全くの逆。つまりOFF COLAは従来のコーラに対するカウンターカルチャー的存在である。そしてこれから、OFF COLAはリラックスドリンクとして、リラックスカルチャーの中で欠かせないドリンクを目指す。忙しない日々を過ごす現代人が「オフ」になれる瞬間を届けるために。
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ここまでOFF COLAを語る上で欠かせない、ヒッピーと社会背景についてお話ししてきました。いかがでしたでしょうか。
次回のテーマは、OFF COLAで使用しているスパイスや原材料へのこだわりについて。よりディープなOFF COLAの世界をお届けします。お楽しみに!